少し早めに台北の街を出て、桃園国際空港にて、旅の総括を記すことにした。
一週間前は風邪の治りかけで、ふらつきながら成田空港を出発したが、今はだいぶ体力が回復したようだ。毎晩のように、繰り返された乾杯で、酒が百薬の長となったのだろうか。
今回の台湾での経験を一言で表すなら「懐かしさ」に限る。ひと、食物、風景等々。どこかで会ったような人たち、安心感を覚える味に、懐かしさを覚える街と自然。今回、同行した友人は、世話になった恩人の社長を「昭和的」と表現したが、言い得て妙であった。
また、台湾における工芸文化においても、それは例外なく感じることができた。宗教的工芸、いや、縁起を担ぐための土着的なものづくり、とでもいうべき市場が、中華圏独特の世界観を醸して、残存していた。しかも、それなりに活況らしい。また、それらと一見対極的な台湾原住民による、素朴な工芸も大切に保護されていた。
かつて日本において、あかがね(銅)は、銅鏡など、アニミズムの象徴として君臨した。いつしか、宗教的な要素は抜け去り、用の美となり、更に産業革命以降では、機能的価値のみが残った。あかがね(銅)の本質「伝導」から、自身や自社のアイデンティティ、また、人、地域との協業を通じて、新たな価値を築こうと必死だった。
台湾においても、国と国との緊張の中で、自国のアイデンティティとして工芸文化を見直す動きがあるらしい。そんな中、国立台北芸術大学での講義、国立台湾工芸研究発展センターでのプレゼンや意見交換を行ったことは意義深い。
そして道中、理想郷というべき、工芸の里に出くわす。彼女らは国立の美術館の学芸員チーフの地位を辞し、田園風景の美しい里に錫と陶の工房を開いたばかりだった。自然の豊かさを存分に感じるワークショップ、手作りの食器類で頂く滋養のある食事、お茶には、ただの観光の域を超えた何かが存在した。アートキュレイターとして、世界中を観てきたのであろう、洗練された感性と、台湾土着の工芸技術とが出会い、未来を予感させていた。そして、今後、共に作品を作る約束を交わす。
体験の共有や世界との共創により、まだまだ、あかがね(銅)の可能性は進化すると信じている。もともと、ものづくりには変化や融合など、あらゆる関係性から生ずる「コミュニケーション」を内包する力が宿る。
物作りは物語り。
台湾の懐かしい田園風景の中、ネイティブと共に「仙台七夕踊り」を踊ったように、笑いながら軽快に愉しく歩んでいこう。
取締役副社長 田中善