世界でも最速で高齢化社会に移行しているといわれる日本。
先日、知人主催の上映会、「みとりし」を見てきました。
「看取り士」初めて聞く言葉でした。納棺士ではありません。
誰にでも訪れる最後のとき、住み慣れた自宅や本人の希望する形で、それぞれの心に寄り添いながら
見届ける人のこと。在宅医や訪問看護師等と連携しながら、時間をかけてサポートする人のことです。
実話をベースにした〝死〟がテーマだけに、重いイメージで躊躇もありました。
それでも、老親や自身を含めてリアルな事柄なだけに、避けては通れないものを感じたのです。
知人は、ホスピスの仕事に携わっており、最近、東北初の看取り士としての活動も開始しました。
彼女は、様々な方の心身のケアの方法の一つとして、笑いヨガ教室も開いております。
自らを開くための行動の第一歩として、誰もが気軽に出来るということ。
〝人はどんなに行き詰まっても、ムリにでも笑っている時は、脳から幸せホルモンのセロトニンや
痛みを和らげるエンドルフィンが出て、それが自然に生きる力に繋がっていくのヨ〟
〝人は最後の瞬間にだって変わることができる。そして誰もが本当に愛おしい存在 !〟
それは知人の「命のケア」の実体験を通した、まさに生きた言葉でした。
芯の通った、そして爽やかに言い切る彼女の生きる姿勢に、わたしは衝撃を受けました。
映画では、人は、身近な〝死〟としっかり向き合い、受け止めることができた時、
新たな力強い「自らの人生」を漕ぎ出せることを伝えておりました。
〝死は敗北ではなく、次世代へのギフト〟というのが、この映画の主旨でした。
これまでのことが立ち行かなくなり、孤立や分離が表層化している現社会。
普段はあまり意識することが少なかった、命の繋がりや育みとは切り離せないひとつながりのところに、わたしたちの日々の生活が営まれていることを感じさせられました。
〝働くこと〟の意義も、自らを含め、みんなの命を豊かに蘇らせていくという自然にかなった基本があってこそ本来の仕事がまわっていくのだと、その重要性に気付かされました。
命をめぐらせている大自然の大いなる環というものを、
今回、知人の生き方を通して学ばせていただく機会となりました。